ミュージックステーション(2021-07-05)【金曲32】特別貢献賞:羅大佑
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さて、このコーナーではここ最近、今年の台湾のレコード大賞、第32回ゴールデン・メロディ・アワードで特に注目を集めている賞にノミネートされている歌手とその作品を紹介していますね。
今週は、ノミネート者ではなく、今年のゴールデン・メロディ・アワードの特別貢献賞の受賞者、羅大佑(ルオ・ダーヨウ)をご紹介したいと思います。
羅大佑(ルオ・ダーヨウ)は、1954年生まれ、1976年に音楽業界に入り、今でも活躍しているベテラン歌手です。
ゴールデン・メロディ・アワードの審査委員会のコメントを引用して、ルオ・ダーヨウの功績を簡単に説明しますと、羅大佑は、そのおよそ半世紀近くの音楽人生において、世の中の流れに逆らい続けてきました。彼は台湾社会に「黒い旋風」を巻き起こし、たった1人の力で、C-POPの大革命を起こした人物です。
ルオ・ダーヨウの音楽の道のりを振り返りますと、彼はかなり「イカれている」と言われています。
ルオ・ダーヨウは1954年、医者一家に生まれました。しかし、医学より、音楽に興味を持っているルオ・ダーヨウは、大学進学の際に、「もし医学免許を取得したら、もう私の夢に口出ししないで」と親と約束を取り付けました。
その後、親の期待通り、医学部に進学したルオ・ダーヨウは、しょっちゅう夜9時過ぎにギターを持って解剖室に入り、歌を練習していました。たとえすぐ隣が遺体の冷蔵保存庫であっても気にしません。なぜなら、そこのエコー効果が一番よかったからだそうです。
医学院卒業後、ルオ・ダーヨウは医者の資格を取得し、内科医と放射線科医となりました。家族に自分の実力を証明できたから、ルオ・ダーヨウは早速音楽創作に路線変更。そして1982年に、ファーストアルバムをリリースするとともに、まるで爆弾を投下したかのように、台湾社会で嵐を巻き起こしました。
なぜなら、ルオ・ダーヨウの音楽は、当時の台湾音楽業界にとっては斬新的すぎたからです。1970年代の台湾の音楽業界は、フォークソングこそが王道、というスタンスを貫いていました。しかし、ルオ・ダーヨウの音楽は、ロックやR&B、レゲエなど、当時の台湾では馴染みのないものばかりでした。
さらに、その歌詞には、社会問題を鋭く指摘するものがほとんど、権威主義に対する反逆精神すら感じられます。その音楽は、台湾の流行音楽の発展の礎を築きました。また、台湾だけではなく、中国大陸、香港など、中華圏の音楽創作者にも大きな影響を与え、C-POPの歴史を語るには絶対欠かせない存在となっています。ゴールデン・メロディ・アワードの審査委員会は、そんなルオ・ダーヨウに敬意を払うため、特別貢献賞を授与すると決めたのだそうです。
※7月5日にご紹介する曲:
1.「鹿港小鎮」(Lukang,The Little Town)
2.「亞細亞的孤兒」(亜細亜の孤児)
3.「未來的主人翁」(未来の主人公)
4.「戀曲1990」(ラブソング1990)
(編集:曾輿婷/王淑卿)
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